クライストチャーチの現状と、それぞれの道


昨日のブログで触れましたが、私たちは、明日、オークランドへ旅立ちます。
この決断までには、長い道のりがありました。

まず、昨年9月の地震。
これでクローズに追い込まれたレストランも数軒ありましたが、
私たちは、10日間レストランをクローズするだけで済みました。

次に、12月の余震。
たて揺れの地震だったせいか、窓ガラスが割れる被害が多かったようですが、
私たちは、2日間レストランをクローズするだけですみました。

そして、2月の大地震。
まるで飛行機の着陸に失敗したような大きなたて揺れと振動。
そして何よりも、その地震の長さにより、大きな被害を被りました。
ただ、9月・12月に引き続き、3度目の地震でしたので、「またか」という気持ち。
でも、その揺れの大きさは、死をも意識するほどの、大地震でした。
その後も続く余震、液状化、建物の倒壊、なによりも、広大な立入り禁止区域の設定が、
わたしたちの手ではどうにもならない壁となりました。

一旦オークランドの友人宅へ身を寄せ、それから日本へ。
日本でまた大震災に見舞われました。
NZと日本の両方で受けた心のダメージは大きく、しばらくは先のことを考えることができませんでした。

地震から6週間たったあと、クライストチャーチに戻ってきた私たちは、
何も変わっていない街の様子に驚かざるを得ませんでした。
もちろん、少しずつ、少しずつは前に進んでいます。
でも、立入禁止区域は、依然、目の前の大きな壁となっていました。

それから一ヶ月ほどクライストチャーチに滞在しましたが、
店の清掃命令を最後に、これで何も動かなくなることを感じた私たちは、
ちょうど日本行きの格安チケットが出たのをきっかけに、再び日本へ帰ることにしました。

2度目の日本滞在は2週間。
店の再開を期待し、河童橋で食器やキッチン用品の買出しなどに時間を費やしました。
この間、友人の「Samurai Bowl」と「寿司ダイニングきんじ」は、
すでに他の場所で物件を見つけ、移転の準備を進めていました。

クライストチャーチのレストランの大半は今もクローズしています。
そのうち、一部のレストランは、別の場所へ移転して、新たに営業を開始できるよう準備を進めています。
街の中心部が立入り禁止となっている現在のクライストチャーチでは、
レストランができるような物件は、本当に数少ないのです。
その数少ない物件から、自分の希望に少しでも近いところを探して、
レストランを再度OPENするというのは、並大抵のことではありません。

通常、レストランを新しい場所へ移転する場合には、
今あるレストランを売却し、そのお金を次のお店の開店資金にあてます。
ところが、今回地震の被害にあった私たちは、何の前触れもなく、地震によって、突然今の店を取り上げられ、
その状態で、新たに次の店をOPENするということが、どれだけ大変なことか。
まさに、東北で、「買ったばかりの家を津波で流されて、まだローンも残っているのに、どうやって次の家を買うんだ。」
というのと、同じ話です。

私たちは、昨年お店の改装に大金をつぎ込んだばかりです。
買ったものなら次の店に持って行けばいいですが、隣の店とつなげて拡張した費用や、新たに作ったトイレ、新たに引いたガス管、新たに敷いたタイルや絨毯、設計して作ってもらったバーカウンターなどは、持って行くことはできません。
次のところに店を出すということは、つまりこれらのお金をつぎ込んだものたちを、ここに残していくことを意味するのです。
私たちの中には、その選択肢はありませんでした。

お店は立入り禁止区域内にあるというだけで、すべてが無事でそこに残っているのです。
次へ移ることよりも、立入り禁止が解除されるのを待つほうが、私たちには現実的でした。
そして、地震直後に発表された見通しは「クリスマスまでには街を開放したい」というものでした。
まさか、地震からクリスマスまで10ヶ月もあります。
どうやって10ヶ月も立入り禁止が解けないなんてことがあるんでしょうか。
東北だって、放射能のエリア以外は、みんな家や店に戻って片付けたり掃除したりしているじゃありませんか。
日本でのニュースを見るたびに、「どうしてクライストチャーチはいつまでたっても立入り禁止が解除されないのだろう」という思いばかりが募っていきました。

そして、クライストチャーチに戻ってきて、なにも変わっていないことをさらに実感。
すでに地震から3ヶ月が経過していました。
1200の建物を壊す計画があるそうですが、なんと、現在まだ150の建物しか壊し終わっていないのだそうです。
いったいどうなっているんでしょうか。
ましてや、立入り禁止にしているのですから、もっとどんどん作業が進んでいいのでは?
さらなる苛立ちを感じました。

そして、クライストチャーチでモーテルを経営するナオミさんのブログを拝見し、
クライストチャーチに今後も残って、お店の再開を待つことに、疑問と不安を感じたのです。

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(長いですが、なおみさんの許可を得て、以下抜粋してます)

クライストチャーチに住んでいない人、いや住んでいる人でも中々この現状をイメージできない人多いです。
何となく世の中平常を取り戻しているように感じている人もいるし。ので、その現状を書くことにします。
時間が経つにつれてポジティブなこともネガティブなことも少しずつ出てきます。

ネガティブな話題 - 大聖堂が受けたダメージは予想以上にひどいそうです。東側、北側そして南側の壁は取り壊し、かろうじて西側だけ何とかなりそうだとか。修復費用は保険などでは全く追いつかないそうです。復旧危うし。また、アートセンターは120万ドルの保険が掛けられ修復に15年。

ポジティブな話題 - ラグビーニュージーランド代表オールブラックスのキャプテン、リッチーマコウと世界最強のキッカー、ダン・カーターが共に4年契約を結びクライストチャーチにとどまることに。まぁ地震とはそれほど関係のあることではないかもしれないけれど、二人とも海外に行って大活躍するチャンスをポイッと捨ててこの地に残ってくれる。地元の人たちが喜んだのはご想像通り。リッチーは2月の地震の時近所のスーパーマーケットで買い物していて被災。液状化の泥の片づけにつきあったそうな(けがの治療中であまり動けなかったそうだけど!)

立入禁止区域の開放 - カジノの周りが少し開放された。といっても周りはゴーストタウン。取り壊した跡地がいたるところに。開放されたばかりのレッドゾーン、見に来ればわかります。何も残っていません。全部さら地。。。

1200もの建物が取り壊し予定 - ショックです。この数もショックですが、まだ150しか取り壊していないというの気になります。もうこんなにすかすかなのにまだこれから1050もの建物が取り壊される。街全体が変ってしまうとはこのこと。9トントラックで444,000台分が街の中心から運び出され、リトルトン(港町)の埋め立て地に利用される予定です。

グランドチャンセラーホテル - 傾いた26階建は6月中旬より取り壊し開始。Stage 1 – 致命的なダメージの原因となった駐車場ビルをまずは取り壊し。6週間の予定。 で、ホテルを上階から少しずつ。11回まで到達したら、後はクレーンで取り壊し。全部で10カ月。更に、倒壊防止のために注入したコンクリートを取り除き、その後元の基礎を取り除く。ものすごい作業が予想されます。10か月っていうけど、9月の地震で唯一大がかりな取り壊しが行われたマンチェスターコートだって、2か月の予定が5カ月かかったよね、そう言えば。。。

大がかりな取り壊し作業は他にも - コプソーン・ダーラム(カジノそばのホテル)とアートギャラリーの隣にある、賞をとったほどのラグジュアリーアパート(14階建て)は取り壊し決定。まだまだ他にも、保険会社にその運命を左右されそうな高層ビルは沢山ある。取り壊しか修理か。。。全ては結局のところそろばん勘定に頼ることに。保険をかけていても大丈夫とは言えない。。。っていうことも常識となりつつあります。。。

キャッセルストリート ? コロンボストリートと川の間のブロックだけで27のうち16の建物がその姿を消すことに。

イベント村(An Events Village) – ハグレー公園の一角にアウトドアのイベントスペースができる。復興中でも楽しいことは必要。。。とその予算が承認され間もなく工事開始。モーテルから徒歩5分。少し活気が出てくるのではと期待します。なんせ、アウトドアとインドア施設があって、コンサートからイベントまで、ラグビーワールドカップのビッグスクリーンから毎年恒例のバスカーズフェスティバルまでもう予定はいっぱい。でもこんなのができるってことは、街の中心はそう簡単には開放されないってことを物語っているわけでもあります(泣)。

あまり良くないニュース – タウンホールとコンベンションセンターは最終レポートが上がってくるのにまだ数カ月かかるけれど少なくとも2013年までは再開できない予定。ということは、街の中のホテルの再開も遅れ、つまりは街の復興も遅れることになりそうです。街の東側では液状化の泥が片付けられ下水道が急ピッチで修復されていますが、地図を見るとケミカルトイレの使用を強いられている人はまだ沢山います。

(以上、抜粋終了)

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つまり、オークランド行きは、半分引越し、半分下見なのです。

オークランドに行ったら、仕事をします。
それだけでも、何もしていない今の暮らしより、どれだけ人間らしいことか。

そして、住まいを探します。
家に赤紙が張られている私たちは、未だ仮暮らしを続ける旅人のようなものです。
落ち着いて住める部屋で暮らせることが、どれだけ当たり前の人間らしい暮らしができることでしょうか。

幸い、オークランドでは、仕事のオファーがあり、それもあって、オークランド行きを決断しました。
右も左も分からない街での暮らしは、期待半分、不安半分ですが、
多くの人に支えてもらって今があることを実感しています。

クライストチャーチ最後の夜は、キンジさん夫妻と共に夕食を食べに行きました。
前から仲良くさせてもらっていましたが、地震の後は、特にたくさん助け合ってきました。

今日行ったレストランのスタッフは、街の中心部のホテルで働いていたんだそうです。
私たちも、レストランが立入り禁止区域内にあって、営業ができないことを話しました。
これからどうするの?と聞かれ、
かたや「新しいところに店を出す準備をしているんだよ。」と答え、
かたや「明日からオークランドにいくんだよ。」と答える。
巽とキンジは、OPENした時期も近く、今までずっと一緒に歩んできました。

オークランドかクライストチャーチかは分かりませんが、巽は必ず復活します。
そのための第一歩を明日踏み出すことに、とても緊張しています。

これからも、応援、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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