心が折れた出来事⑩


さて、前回は、災難続きだった2017年を振り返り、3つの大きな事件を紹介しましたが、
そんなものはまだまだジャブに過ぎず、
大きなカウンターパンチを二つも食らった話です。

両方とも、口に出すのも辛すぎて、
私のまわりの人や、友人ですらあまり知らない話です。
やっと気持ちが落ち着いてきて、こうやって書けるまでになりました。

まず、一つ目は、「詐欺」に遭いました。
私が、というよりは、「店が」なんですが、
それでも、窓口は私ですから、私が騙されたのと同じです。

海外からのご予約で、団体のお客様で、あらかじめ、クレジットカードでお支払いをされました。
これは、個人経営の旅行会社などでは、よくあることです。
それが、ご予約の直前にキャンセルになってしまったのです。
そこで、あらかじめいただいている金額を返金しなくてはならなくなりました。
本来であれば、クレジットカードの手続きをキャンセルすれば、全額カードにお金が戻るのですが、
キャンセル料を頂戴しなくてはいけない関係で、その差額のみ返金することになり、
銀行口座へ振り込みで返金することになったのです。
幸い、この会社が、ウェリントンに系列会社があるということで、
海外送金ではなく、普通の国内振り込みで返金することができました。
御食事代としてあらかじめいただいていた金額は$7750で、キャンセル料が$775でしたので、
その差額を、指定のウェリントンの口座に振り込みをしました。

それからしばらくして、クレジットカード会社から連絡きて、
「弊社のクレジットカード保持者から、使った覚えのない金額が御社より引き落とされていると連絡がありました。
調査の結果、カードが不正利用されたことが分かりましたので、$7750を、〇月〇日に、口座から引き落としをさせていただきます」
というものでした。

手元にあるなら、もちろん喜んで返金しますが、もう別の銀行口座に振り込んで返金済みです。
返したくても返すことはできません。

そこで、うちの会計士に相談しました。
というのも、この大きなお金を動かすときに、会計士に、こういった手続きをすることに問題がないかどうか相談していたのです。
会計士の指示により、きちんとパスポートのコピーももらっていましたし、請求書の内容も問題ないか確認してもらっていました。
それでも起きた事件だったのです。

会計士は、クレジットカード会社に連絡をしましたが、
クレジットカード会社は自分の顧客のお金を守ることが仕事なので、
それが詐欺だろうがなんだろうが、うちの会社からお金を取り戻さなくてはならず、取り合ってもらうことはできませんでした。
次に、会計士は、銀行に連絡をしました。
うちが、お金を返金した先の口座をもっている銀行です。
銀行からの情報によると、その銀行口座はまだOPENされている状態だけれど、
銀行は、口座保持者に「返金依頼」をすることはできても、勝手にお金を差し押さえることはできないんだそうです。

会計士は、クレジットカード会社も、銀行も、大きな組織であって、こういう被害にはしょっちゅう遭っているはずで、
そのための保険にも加入しているはず。と言っていました。
一店舗であるTATSUMIが、この詐欺被害額を全額弁償しなければいけないというのは、絶対におかしい。
と憤っていましたが、結局誰も助けてはくれませんでした。
$750ならまだしも、$7750という金額は、ほんと、うちのような中小企業は、これで破産してもおかしくない金額ですよ。
騙された方が悪いのは分かってますけど、本当にやるせない。
一生懸命働いて、こんな目にあってお金を失って、ほんと、バカみたいですよね。
本当に心が折れました。
辛すぎて、誰にも言えませんでした。

でも、もっと辛いことが起きました。
それは、去年の今頃入社したスタッフのことです。
彼女は、永住権目指して、NZの調理師学校に通う学生でした。
当時アルバイトをしていたカフェで就労ビザを申請して、3年の就労ビザを持っていました。
でも、そのカフェが他の経営者に売り渡されてしまい、TATSUM Iへの転職を希望していました。
彼女はシェフとしての経験も浅いし、まだ学生だけれど、
「3年のビザを持っている」というのは、雇用主にとってはとても魅力的で、採用を決めたのです。

人材確保が難しいNZでは、「3年働いてくれる」というだけで、
たとえ経験が浅くても、ゼロから仕事を教えても無駄にはならない。
彼女は、技術的には他のシェフには及びませんが、気立ても良く、気遣いもでき、
また英語もできるので、ホールも手伝ってくれて、私は、彼女にとても信頼を寄せていました。
仕事のあとも、ずっと二人でおしゃべりをしたりするほど、仲良くしていました。

その彼女が、永住権のルールが厳しくなる前に、運よく永住権の申請をしていて、
今では考えられないような低いポイントしかなかったにも関わらず、
英語力の試験も免除で、永住権を取得することができたのです。
一度はシェフとは認められず却下されたのですが、
なんとか永住権が取れるように、私も頑張って、サポートレターを書きました。
うちで働き始めて、一年もたたないうちに、永住権まで取得できたのは、彼女が初めてです。
通常、働き始めて一年もたっていないスタッフの永住権サポートなど、やらないのですが、
彼女の場合、うちで働き始める前にすでに永住権申請をしていたため、
就労ビザのサポートをする=永住権もサポートする。ということに自動的になってしまったのです。

でも、とても頑張って働いてくれているし、
他のスタッフとの関係も良好で、私も個人的に仲良くしていて信頼していましたから、
働き始めてすぐに永住権のサポートをするなんて、普通ではないと分かっていながら、
その分、仕事を頑張って、恩返しをしてくれればいいと思っていました。
当然、たとえ永住権が取れても、就労ビザの期間である3年は普通に勤務してくれるものだと思っていましたし、
それを信じて疑いもしていなかったので、永住権が取れた後どうするのかなど、聞くことすらしていませんでした。

ところが、永住権が取れて1か月ほどたったころ、
「実は前から留学エージェントで働きたくて、今いい話が来ているので、仕事を週休3日にしてほしい」と言われたのです。

私には意味が分かりませんでした。
うちの店で3年働く気があるということで就労ビザをサポートしたのに、
永住権が取れた途端に「実はエージェントの仕事がしたい」だなんて、
なんだか、とても釈然としない気持ちになりました。
だって、永住権をサポートさえしなければ、彼女には、ビザの期間である3年は働いてもらうことが出来たのです。
それなのに、彼女の為に、永住権をサポートしたのに、そのことによって彼女を失うなんて、
こんなに納得のいかない話があるでしょうか?

そして、さらに、その1か月後、
「まだ病院には行ってないけれど、子供ができたみたいなんで、仕事を辞めたい」と言ってきたのです。

将来的に留学エージェントの仕事がしたい。というのも分かる。
結婚しているので、子供ができても、それは自然な話。
私には、それを止める権利も、非難する権利もありません。
でも、それでも、なぜ、今?
まるで、永住権を取ったらすぐにでも辞めることを計画していたみたいじゃないですか。
私には、彼女が今までどういう気持ちで私や他のスタッフと接してきていたのか分からなくなり、
混乱に陥りました。

いくら永住権のサポートをしたからって、サポートした3年の就労ビザ期間は働いてもらわないと困る。
というのは、こちらの言い分ですが、
契約書上も、法律上も、それを縛ることはできないのです。
自由意志です。

でも、永住権が取れて1か月でエージェントの仕事が決まり、
2カ月で子供ができる。だなんて、そんな話ありますか?
彼女には、そんなつもりはさらさらないかもしれませんが、
私にとって、それは「裏切り」以外の何物でもありませんでした。

「彼(女)には彼(女)の人生がある。」

これは、スタッフが辞めるときに、私がいつも心に留めておくことです。
なので、辞めていくスタッフは「引き留めない」というのが私の信条です。

でも、私には「おめでとう」と言ってあげることはできませんでした。
そんなに出来た人間にはなれませんでした。
そして、彼女は、永住権が取れた後、3か月を待たずして、退職していきました。
彼女が退職したその日から、誰一人、彼女の名前を口にしなくなりました。
みんな私と同じ気持ちだったと思います。

「文句を言っても、非難をしても、もう元には戻れない。だったら、もう忘れよう。」

他のスタッフが、私に言いました。

「私たちが知っている彼女なら、こんなこと言えないし、できない。そんな人ではなかった。
だから、たぶん、今まで私たちが見てきた彼女は、きっと本性ではなくて、つくりものだったんですよ。」

そうなのかもしれません。

でも、信じていた人に裏切られるって、本当につらいですよね。
今までも、人に裏切られることって皆無ではなかったですが、
今回ばかりは、心が「ポキン」と折れる音が聞こえました。

そこからです。
私の体に異変が起こり始めたのは。

毎晩、ストレスによる不眠の薬を飲まないと、眠れないようになりました。
朝、出勤しようと思うと、動悸息切れがするようになりました。
仕事上で、信じられないくらい物忘れをするようになりました。
頭と体が仕事のスピードに追い付かず、仕事中に立ち往生してしまうようになりました。

私がもっとも危機を覚えたのは、
今まで3テーブル分くらい、一度聞いたら書かなくても覚えられていたオーダーが、
2人分すら書かないと覚えられなくなってしまったのです。
「アサヒビールと、オレンジジュース」
これすらも覚えられなくなった時、恐怖を感じました。

そして、ごみの分別ができなくなりました。
食器を下げて、箸、箸置き、箸袋と、仕分けて違うところに入れるのですが、
箸置きを握りしめたまま、どこに入れたらいいのか迷ってしまうのです。
今まで、目をつぶっていても自然とできていたことです。
頭も働かず、体も動かないのです。

毎日毎日、仕事の中でこのような不安と恐怖を感じ続け、
「このままでは、私が崩壊していく。」

と思いました。

 

(つづく)

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