先日、日本の友達が、「これ、ようこさんのお父さんの店の話じゃない?」と言って、ある記事を送ってくれたんですよ。

わたしの両親は、祖父の代から営業していた飲み屋を継いで、夫婦二人で営業していたんですが、飯田橋の駅前という便利な立地もあり、よく仕事帰りに友達を連れて飲みに行ったりしていたんです。
両親の店は、飯田橋駅前の、昭和感漂う古いビルの中の一軒なのですが、そのビルは、もともと、戦後間もなく飯田橋近辺にたくさん出現した露店商が、仲間を集めて建てた木造二階建ての「8軒長屋」が始まりだったんです。

写真は、隣の「鳥政」さんからの提供です。

上の写真には、わたしの祖父と祖母の姿が写っています。
右上ギリギリには、「たつみ家」の看板が見えます。
いまわたしがダンナと経営している「巽」の名前はここから取りました。

昭和23年に建てられた8軒長屋ですが、昭和40年に今の姿に建て替えられました。

写真は、隣の「鳥政」さんからの提供です。

この写真が、わたしの知る、父の店の写真です。
小さい頃は、よく店で遊んでいました。
その当時の写真がこちら。

さすがに白黒写真ではないけれど、むっちゃ昭和ですよね〜(笑)

駅の目の前という好立地でありながらも、神田川に今にも落ちそうなギリギリのところに建てられていて、東日本大震災の時に、崩れ落ちてもおかしく無いような古いビルなんですよね。いつ区画整理で立ち退きを迫られてもおかしくない状況の中での営業でした。でも、ほんと、長い間、令和の時代に、忘れ去られたかのように残る昭和のビルです。

夜はまだいいけど、昼は老朽化が目立ちます。

祖父母は、創業第一世代でしたが、わたしがニュージーランドに旅立った20年ほど前には、すでに全ての店が創業第二世代となっていました。
そして、前回わたしが日本に帰国した時には、わたしの両親を残して、他の店はほぼ創業第三世代へと変わっていたのです。
そんな中、父は唯一の創業時代を知るものとして、歴史を引継ぎ、若い人へと伝え続け、8軒の店をまとめていました。

父が亡くなった後は、隣のお店の鳥政さんが、第三世代として、このビルをしっかりと取りまとめてくれています。突然父が亡くなった時にも、途方に暮れる母を助け、いろいろな面倒な事務作業を放り出さずに、しっかりと面倒を見てくれました。

「たつみ家」を、うちのダンナが継ぐという選択肢もあったのですが、父が突然亡くなった時と、巽がクィーンズタウンに移転するタイミングがちょうど同じだったこともあり、それは叶いませんでした。

その時点で、わたしたち家族は、この古い歴史を持つビルとは別れを告げることになったのですが、気持ちはいつもここにある気がしています。
この記事を友達が送ってくれたことで、なんだかタイムトリップをした気持ちになったのでした。

この記事を送ってくれた友達とは、大学を卒業して一番最初に勤めた会社で出会ったのですが、当時私は新入社員、彼女は大学生アルバイト。でも、似たところも多くて話も合って、よく一緒に遊んでいたのですが、彼女の家がちょっと遠いこともあって、わたしの実家に泊まりに来ることもよくあって、父の店にも行ったことがあったのです。
それで、写真を見たときに、父の店のことだとすぐに分かったそうなんです。

このブログで「あ!お父さんのお店!」と思うわたしの友達、結構いると思います(笑)結構いろんな友達連れて行っていたからな。

毎日流れてくるたくさんのインターネット上の記事から、父の店を見つけてくれた友達に感謝。
なんだか、自分の中に流れているものを感じることができたひとときでした。

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