オークランドへの移動を決意した経緯

日本に2週間ほど帰国してクライストチャーチに戻り、なによりも驚いたのが、何一つ変わっていなかったことでした。
お店はまだ立入禁止エリアのままでしたが、家のあるエリアは予想通り立入禁止は解除されていました。ところが、隣の建物が危険だということで、レッドステッカーが貼られ、家の前までは行けても中に入ることはできません。しかも、安全上の理由から、ドアは板で打ちつけられ、まったく侵入不可能になっていました。これでは、家から何一つ取り出すこともできません。
その後2週間たって、隣のビルがネットで補強されたおかげで、居住可能のグリーンステッカーにかわり、ドアも付け替えられ、やっと家に戻ることができました。

ところが、中にはいるとカビくさいにおいがして、何かと思ったら、地震でお湯のタンクが壊れ、家じゅうが水浸しになっていることが分かりました。まずは、家の荷物を全部だして、絨毯の張替えをしなくては住むことができません。
そして、1週間かけて、やっとすべての作業を終え、「今日から我が家に戻れる!」と荷物を家に運び込もうとしたその時、なぜかまた、ステッカーの色が「立入禁止」のレッドに変わっていたのです!昨日までグリーンだったのに!緑になったり、黄色になったり、赤になったりするステッカーに翻弄され、やっと住めるようになったと思ったら、またダメだなんて、もう、溜息がでるどころの話ではありませんでした。

そんな時、レッドゾーン内にある会社や店舗が、順番に建物の中に入れることになりました。保険会社に請求しようにも、何がどれだけ壊れているかなど分からないし、貴重品が置きっぱなしになっているということもあり、45分という限られた時間だけ、エリア別に中に入れることになったのです。
この時、すでに地震から2か月がたっていました。
食材がそのままになっているレストランが2か月放置されたらどんなことになっているか、考えただけでも恐ろしいのですが、ここで一時進入が許されると言うことは、それだけ長い未来まで、レッドゾーンは開放されないということを暗に告げられたようでもありました。

店の中にはいると、それはもう当然地震の時のそのままになっていました。地震の時に私がいたバーカウンターは、冷蔵庫からビールが雪崩落ちてそのままになっていましたし、キッチンの惨状たるは、言葉では表現できないほどでした。そして、窓際のテーブルも、2ヶ月前にお客様が座っていたそのままの状態で残されていました。なんだか、この前まで活動していた街から、人だけが忽然と姿を消してしまったかの光景で、なんだか急に悲しい気分になりました。

巽への進入が済んだ後は、とりあえず一段落という感じで何もない日々が続きました。次になにかあるとしたら、もうレッドゾーンが開放される以外はありません。つまり、この先何ヶ月もなにも動きがない可能性もあるのです。

この時期は、レストラン仲間と集まっては、保険請求がどうなっているかとか、これからどうしようかとか、物件を見に行ったとか、たまに朝まで飲んだくれたり、「こんな日がいつまで続くんだろうか」と、どんどん自分がダメ人間になっていくような錯覚に陥りました。
たまの休暇であれば、それは嬉しいし満喫しますが、これは「終わりの見えない休暇」であり、これほど自分の人生に不安を感じたことはありませんでした。今まで積み上げてきたものを、突然奪い取られたような、目標を失ってしまったような、そんな感じでもありました。

そして、私たちは、このままクライストチャーチでレッドゾーンが開放されるのを待ち続けることが、果たして正解なのかどうか悩み始めました。
「何もしないで待ち続けること」は、地震から4ヶ月で、すでに大きな苦痛となって私たちにのしかかって来ていたのです。今まで休まず働き続けてきた私たち夫婦にとって、「働かないこと」ほど苦痛な日々はありませんでした。

そして、「同じ待つなら、家も仕事もないクライストチャーチではなく、仕事もあり、勉強にもなるオークランドで待ったほうが有意義な時間を過ごせるのでは?」と考え始めたのです。
しかしそれは、決してクライストチャーチの巽を諦めたというわけではありませんでした。地震で店が駄目になっていれば、すぐに新しい物件を探したことでしょう。でも、巽のビルはなんの問題もなく立っていたため、立入禁止さえ解除されれば、またすぐに営業再開が可能です。なので、簡単に諦めることができませんでした。

やはり、私たちはクライストチャーチが好きだし、「あそこでもう一度同じように巽をOPENさせたい。」という気持ちが一番でした。しかし、このままクライストチャーチで立ち止まっていても、何も前には進まないということだけはわかりました。
フェンスのすぐそこにある店の中に入って、自らの手で片づけをすることすらできないのです。このもどかしさは、もう言葉にしようがありませんでした。それだったら、せめて一歩でも前へ進みたい。「何もしないでいること」への限界でした。

そして、私たちは、「待つ」ことを第一優先として、次の可能性も探すという決断をし、クライストチャーチを一先ず離れ、オークランドへ移動することを決めたのでした。

第11回 「運命的な出会い」

 

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