クィーンズタウンで始めたNZライフ

主人は、シェフになって20年ほどになりますが、日本の調理師の世界はそれは厳しく、下っ端の頃は当然のように朝から晩まで休みなく働き、店を任されるようになれば、それはそれで朝から晩まで働き、休みは店の定休日のみ。という暮らしを長年続けて来ました。

唯一の休みの日の楽しみは、ロッククライミング。
クライミングは、相方が必要スポーツなので、スキー好きの同僚にクライミングを教え、かわりに自分はスキーを教えてもらうことにしました。
ところが、29歳で初めて挑戦したスキーに俄然はまってしまった主人は、仕事を辞め、30歳にして、スキー三昧で暮らすことのできるクィーンズタウンへの移住を試みたのです。

いわゆるギリホリでやってきたNZですが、当然英語もまったく話せませんので、まずは英語学校へ。そこで、履歴書の書き方から、電話のかけ方から、いろいろ教わり、学校を卒業するとすぐに、クィーンズタウンのパークロイヤルホテルにシェフとして採用されました。
英語もできませんし、最初はもちろん下っ端からですが、腕を見込まれどんどん昇格し、いとも簡単に就労ビザをサポートしてもらうことができたのです。

主人はワーホリビザで渡航したものの、最初から移住目的でしたので、日本から車やらスキー用品やら、料理の本やら、すべてNZに運び込んでいました。
そして、見事、ワーホリから、就労ビザ、そして永住権へと、全く何の障害もなく、すんなりといってしまったのです。シェフという専門職であることや、その経験の長さ、また、永住権が取りやすい時代ということもあったと思います。

朝起きたらスキー場へ行き、昼過ぎまで滑ってからホテルへ。仕事前にシャワーを浴びてコックコートに着替えて、そのまま仕事。毎日その繰り返しです。いわゆる「毎日スキー」という生活を、仕事をしながら実現していたのです。
オフシーズンになれば、家の裏にある畑で野菜を育てたり、ビールを醸造したり、日本で暮していた頃からは考えられないような自由な暮らしを手に入れました。

そんな時、家で開催した鍋パーティに、偶然出張でクィーンズタウンを訪れていた私が参加することになり、二人は出会ったのです。

主人は、鍋パーティに訪れた私といろいろな話をするうちに、私もずっとサービス業に携わってきていることや、私の考え方、計画性、行動力など、将来一緒にビジネスをしていくにあたって、これほど良いパートナーはいないと確信したんだそうです。
そして、翌月、また出張でクィーンズタウンに訪れた時、街で偶然再会し、その日夕食に誘われ、いきなりプロポーズをされました!
会ってまだ2回目ですし、前回のパーティでは人が大勢いましたから、私は正直名前すら覚えていなかったのですが、結婚相手というよりも、ビジネスパートナーとしての資質を見込まれて、プロポーズをされたということです。
これを機に、私の人生は、大きく舵を切りなおすことになったのでした。

第4回「結婚式はやはり日本で」

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