分かれ道に来たら、とにかく進むべし

オークランドへ移動した私たちですが、家具はすべてクライストチャーチの家に置きっぱなしでしたので、まずは、家具付きのアパートメントを借りることにしました。というのも、もしかして、思いのほか早く立入禁止が解除されることがあれば、私たちは当然クライストチャーチへ帰ることを考えていたからです。ですので、クライストチャーチの家を確保したまま、オークランドへと移動しました。
とは言っても、クライストチャーチの家にはレッドステッカーが貼られていましたので、「居住不可能」ということで、家賃は発生していませんでした。そういう意味では、タダで家具を保管してもらっているようなもので、ラッキーでもありました。

オークランドでは、もちろん新しい店をOPENすることも念頭に入れてはいましたが、なんせ土地勘もありませんし、年内はオークランドで仕事をしながら暮らして、まずはオークランドを知ることから始めようと思っていました。
そして、「年内」というのをひとつの目途として、クライストチャーチの立入禁止エリアが解除されなければ、本格的にオークランドで新しい店のOPENを考えようと思っていたのです。

そして、オークランドに移動してから2週間くらいたったとき、クライストチャーチから友人が遊びに来て、近所の居酒屋に一緒にご飯を食べに行きました。そして、そこで偶然出会ったその店のオーナーさんに、突然「うちのNewmarketの店買わない?」と言われたのです。
まず、私たちは、Newmarketがどこにあるのかすら知りませんでしたし、そのNewmarketの店がどんな店かも知りませんでしたので、その時はとりあえず「まだオークランドに来たばかりですので、またお店を見せていただきたい時には連絡させていただきます」と言いました。

その翌週、オークランドの友人とごはんを食べに出かけた帰り道、「例のNewmarketの店見に行ってみる?」と言われ、場所と外観だけでも見てみようかと、ちょっと行ってみたのです。すると、どうでしょう。思っていた以上に随分かっこいいじゃないですか。外壁は総大理石で、小さい窓が1つ付いているだけ。
もう営業していないお店だったので、中を覗いても暗くて見えませんでしたが、随分と広い感じ。むしろ広すぎる感じ。そして、俄然興味を持ってしまった私たちは、オーナーさんに連絡をとって、とりあえず中を見せてもらうことにしたのです。「見るのはタダ」ですからね。

そして、中に入ってみると、もうクローズしてから半年ほどたってそのまま放置されていたことや、10年以上営業していたということもあり、店自体はだいぶ傷んでいる感じではありましたが、それでも、自分たちだけでは作り上げることができないであろう素晴らしい造りでした。
ガラス張りのオープンキッチンや、石を埋め込んだ壁、そして、大理石でできた入口の壁は太陽光を通して、なんとも言えない高級感をかもしだしていたのです。
総工費用がいくらかかっているのか考えただけでも気が遠くなりますが、「ここで巽が営業できたら最高だろうね」と、夢の中にいるようでした。

「きっと手は届かないけど、一応値段だけ聞いてみよう」と、オーナーさんに尋ねてみると、すでに閉店して看板をおろしているレストランでしたので、ビジネス売買というよりは、賃貸権の売買ということで、意外にも、私たちにも手が届くような金額が提示されました。
もちろん、買ったら一文無しになることは覚悟しなくてはいけませんが。しかし問題は、クライストチャーチの時の倍以上にもなる高額な家賃でした。いくら賃貸権の売買が成立したからと言っても、それは一度きりの支払いであって、家賃は毎月毎月支払い続けなければなりません。この家賃の高さが、私たちを最後まで悩ませました。

まわりの誰に相談しても「やめといたほうがいいんじゃないの?いくらなんでも家賃高すぎるよ。他も見てみたら?」と言われ続け、誰一人として背中を押してはくれませんでした。
でも、オークランドに来て、たったの2週間で「理想の物件」に出会ってしまった私たちは、このチャンスを逃したら、きっと後悔すると思いました。
いつも通りの行き当たりばったりなんですが、他の物件を見ている間にこの物件が売れてしまったら?と思うと、ますます手に入れたくなり、「家賃なんてきっとなんとかなるさ」といつもの調子で、私たちは、他のどの物件を見ることもなく、一目で気に入ったこの物件の契約を進める決断をしたのです。

いくら家賃が高いとは言え、クライストチャーチの時と同じくらいの売上を上げることができれば支払うことができる金額です。私たちが初めて店をOPENするのであれば躊躇してしまったでしょうが、今までのクライストチャーチでの実績があったからこそ、決断に踏み切ることができたのです。

年内はオークランドでゆっくり過ごす計画だったにもかかわらず、オークランドに来てたったの2週間で契約を決めてしまった私たち。
しかも、新たに店をOPENさせるとなれば、ものすごい労力と時間とお金がかかります。それでも、この運命的な物件との出会いは逃したくはありませんでした。
私たちにはちょっと敷居が高い物件でしたが、それを承知の上で、「もっと上を目指そう。この店にふさわしいTATSUMIを目指して頑張ろう」と、自分たちに敢えてプレッシャーを与えたのです。

そして、ここから、新しいTATSUMI Newmarket の歴史が始まることになりました。

第12回 「苦労の先にあるものは」