クライストチャーチで、「TATSUMI 巽 Japanese kitchen & pub」をOPEN

日本で結婚式を挙げてニュージーランドに戻ると、主人には大変なことが待ち受けていました。
帰国から一週間後に、クライストチャーチで毎年行われるシェフのコンペティションがあり、ホテルからはたくさんのシェフが参加するのですが、日本に帰っていてなんの準備もできない主人は、当時勤めていたホテルには「参加辞退」を伝えてありました。ところが、「準備がいらない部門にエントリーしておいたから」といって、「ミステリーボックス」という、蓋を開けて入っていた食材を使ってその場で料理をするという、まさに「なんの準備もいらない」部門に勝手にエントリーされていたのです。
そして、いきなり参加したそのコンペティションで、まさかの「Gold Medal」を受賞。世間で始めて認められた瞬間でした。

それから3ヶ月ほどたった時、私の知人から「ご主人シェフだよね。レストランを売りたい人がいるんだけど興味ない?」と声を掛けて頂きました。
ところが、実は、私も主人も、レストラン経営にはまったく興味がなく、しかも、日本食とはまったく無縁のシェフである主人は、「和食レストラン」と聞いただけで「興味なし」でした。

その売りたいレストランというのは、50代のオーナー夫妻が永住権目的に始めた店で、もう永住権が取れたから、あとはリタイア暮らしでのんびりしたいので、誰か代わりにやってくれる人がいないかというものでした。
そんなわけで、今すぐにでも店を手放したかったので、売値はほとんどタダ同然でした。とはいっても、クライストチャーチの大聖堂の近くで、場所がいいので、家賃は大変高く、さらに、店の賃貸契約があと1年4ヶ月しか残っていなかったのです。それらのことが理由で、レストランの買い手はなかなか見つからなかったようでした。

そんな時、たまたまクィーンズタウンに里帰りをする機会があり、友人にこの話をしたところ「とりあえずやってみればいいんじゃない?1年4ヶ月やってみて、おもしろかったら続ければいいし、やっぱりつまらなかったらそこで辞めればいいし、反対にリミットがある方が気楽にできていいんじゃない?」と言われたのです。
「そうか。その通り。とりあえず目の前に差し出されたチャンスに、挑戦してみてもいいのでは?レストランをやる気はまったくなかったけれど、幸い、ダンナもシェフとしての長い経験があり、私もレストランでの長い経験がある。二人で力を合わせれば、なんか楽しいことができるんじゃないか。」そう思ったのです。

早速、クライストチャーチに戻って、ビジネス売買の話を進めることにしました。当然、分からないことばかり。でも、日本人同士ですし、交渉ごとも特になかったので、弁護士すら間に立てず、物件引渡しと、大家さんへの紹介だけで、すぐに手続きは済みました。突然の話だったので、大きな改装をするつもりもなく、とりあえず今あるままの形で、レイアウトや、装飾品などだけ手を加えることにしました。

一番悩んだのは、店の名前。元のレストランの名前をそのまま使うつもりはなかったので、新しい名前を考えなければいけませんが、なんのアイディアもありません。
結局、私の両親が日本でやっているお店の名前「たつみ家」から名前をとって「TATSUMI」とすることにしました。両親のお店はひらがな表記ですが、やっぱり海外では漢字のほうがいいだろうと思い、「巽」の漢字をあてることにしました。
海外暮らしで、なかなか両親には会う事ができませんし、親孝行とも縁遠い暮らしをしていましたので、せめて、両親の店の名前を私たちの店につけて、喜ばせてあげたかったのです。

レストラン形態は、とりあえず「居酒屋」。日本人のお客様が、仕事のあとにちょっと寄って飲んでいってもらえるようなメニュー構成にしました。
「居酒屋」って英語でなんていったらいいかな?と考えた結果、店名は、「TATSUMI巽Japanese Kitchen & pub」に決定。
そして、9月にビジネスを購入し、10月にいったん日本に帰りいろいろ必要なものを購入。
その間、簡単な改装工事などを進め、2007年12月3日に、めでたくOPENを迎えることができたのでした!

第6回 「3年間走り続けた先に待っていたものは。。。」