いつの間にか、すっかりレストランオーナーに。

最初から「契約は1年4ヶ月しか残っていない」と分かった状態でレストランをスタートしましたので、私たちは、お店を始めて一年で、「続けるか辞めるか」を決断しなければいけませんでした。しかし、私たちの答えは、迷わず「続ける」でした。
メニュー作り、スタッフ教育、顧客獲得、様々な努力をして、やっと軌道に乗ってきた今、店を続けない理由が見つからなかったからです。
大家さんに「契約を更新したい」と伝えると、二つ返事で「OK」をもらうことができ、これを機に、私たちは店舗改装をすることにしました。というのも、元々が居酒屋だった場所で、そのまま居酒屋スタイルを継続してきましたが、お客様の反応を見ると、居酒屋メニューよりも、主人のフィールドであるヨーロピアンのテイストを取り入れたフュージョン料理の方が支持されたからです。そして、お客様も、私たちが考えていた会社帰りの日本人ではなく、8割がローカルのニュージーランド人のお客様でした。

より主人のヨーロピアン料理の腕を生かせる和食レストランにしたい。そして、ターゲットはローカルのニュージーランド人で、一回の食事で一人$50以上使える層に絞ったメニュー作りをすることにしました。
それに合わせて、内装や雰囲気も、よりグレードアップさせるためには、改装は必至でした。そして、隣の空き店舗も契約し、壁を取り払い、店を大きくし、キッチンは使いやすいように元の2倍の大きさにして、それに加えて、事務作業をするオフィス、在庫を置いておける倉庫、ドリンクメイキングやお会計などの拠点となるバーカウンターを作りました。

OPENして1年4ヶ月で、これだけ大きな改装をすることができたのは、私たちを応援してくれている常連のお客様のお陰でした。クライストチャーチには、大きな広告媒体となるようなものが新聞くらいしかありませんので、お客様を増やしていく最も早くて確実な方法は、「口コミ」でした。巽は、多くの常連さんの口コミにより、さらに常連さんを増やして行ったのです。

改装のため、2ヶ月お店を閉め、めでたく2009年6月に、「TATSUMI 巽 Modern Japanese Cuisine」と名前を変えて、再OPENを果たしました!
新しくなった巽は、名前の通り、「Modern Japanese」にふさわしい料理にメニューを変更しました。もう、丼もカレーもありませんし、写真付きのメニューもやめました。より、ヨーロピアンスタイルに近いメニューへと進化したのです。

店を始めて一年半がたっていましたが、「ここからが勝負」。今までは、「1年4ヵ月後に辞めるかもしれない」という、ちょっと「力試し」の部分がありました。でも、ここで改装して新たなるスタートを切ることを決めた時点で、完全に「本気モード」に切り替わったのです。

「石の上にも3年」と言いますが、「レストランも3年頑張ればなんとかなる」と、先輩から言われていました。うまくいっていないレストランは、3年もたずに潰れてしまうそうです。
ニュージーランドは、経営者にとっては税金地獄。そして雇用主泣かせの国でもあります。OPENして2年目の税金に持ちこたえることができずに消えていく店が本当に多いですし、また、労働者が優遇される法律ですので、雇用主にとってはしんどいこともたくさんあります。もちろん、その税金のおかげで豊かな暮らしを送ることができ、国民も仕事よりも私生活優先ののんびりとした生活を送ることができるのです。
自分が「労働者側」の人間だったときには「なんていい国なんだ」と思っていましたが、いざ、自分が「経営者側」そして「雇用主側」になったとき、「なんてしんどい国なんだ」と思ったものです。

そして、OPENから3年たった2010年12月。私たちは改装に使った費用を全部取り戻し、あとこれからの利益は、やっと自分たちの収入になるので、「来年からは、少しゆとりのある豊かな生活が送れるようになるといいね。少し休みをとって旅行にでも行こうか」などと、未来予想図を立てていました。

巽は立地の良いところにあるので、家賃が高く、さらに、改装の時に隣の店舗とつなげて拡張したため、更に家賃が上がりました。これは固定経費ですので決して減らすことはできません。だったら、できるだけ営業日数を増やしたいと思い、私たちは「OPEN 7DAYS」で営業していたのです。休みなのは祝祭日のみで、年に10日ほどしかありませんでした。

そして、ずっと走り続けてきて、やっと羽を休めることができると思ったその矢先、クライストチャーチを大地震が襲ったのです。2011年2月22日のことでした。

第7回「突然奪われた日常」