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元クライストチャーチ在住者のみなさんへ、現在のクライストチャーチです。⑤

今回は、2泊3日で、のんびりと過ごす時間があったので、
久しぶりに街歩きをしました。

地震から6年たって、どこがどんな風になっているのか、
昔クライストチャーチに住んでいて、
今は住んでいない人にお伝えしたいと思います。

まず、大聖堂は、もうずっとこのまま。
紅葉が美しかったです。

大聖堂広場のスタバとインフォメーションセンターも、
まだそのまま。

ここは、大阪屋さんや、じゃぱんぱんが入っていたビルの跡地。

こちらは、サムライボウルが入っていたビルの跡地。
図書館ができるみたいですね。

巽が入居していたビル跡地は、コンベンションセンターができるとのことで、
この区画一帯すべてがフェンスで囲われていました。
これは、コロンボStから見た巽方面の道。
もう、店の前の通りにすら行けなくなってしまいました。

2014年に撮影した、取り壊される前の巽。

地震のあと、ハグレーパークに避難していく人たちを眺めながら、
落ち着いたら店に戻ろうと、休憩していたベンチ
結局そのまま二度と戻れなかったんですけどね。

元イーストウィンド、JAL、JTBが入居していた「クラレンドンタワー」の跡地。
もうなにもありません。

その前にイーストウィンド、グローバルネット、JTCなどが入居していたビル。
クラレンドンタワーよりもずっと古いビルなのに、こっちはまだ残っています。
とはいえ、フェンスの中。

となりのバーは、被害を免れ、今もあります。
懐かしい。

Rydgesホテル。
壁をよく見ると、側面はヒビがたくさん入ってますね。

日本領事館が入居していたビル。
窓を割って、ハシゴ車で救出されてましたよね。
このビルは、クラウンプラザホテルになるらしいですよ。
クラウンプラザホテルは、もう取り壊されて、なくなっちゃいましたからね。

地震の後、災害対策本部になっていた、アートギャラリー。
今では、もう普通のアートギャラリーに戻っていました。
毎日ここの前での中継が、NEWSで流れていましたね。

追憶の橋。
ここも、地震の後はバリケードで囲まれていましたが、
今は、また通れるようになりました。

今年の2月22日、地震から6年を迎えたこの日に、
「Canterbury Earthquake National Memorial Wall」が完成しました。
地震で亡くなられた方全員の名前が、この壁に刻まれています。

刻まれた名前の下には、写真やメッセージが飾られているところもあり、
自然と涙があふれて来て、胸が苦しくなりました。
やはり、クライストチャーチを離れていても、
ここにひとたび立てば、あの時に立ち返っていくのです。

読みにくいですが、メッセージも刻まれています。
私たちと同じように、昔クライストチャーチに住んでいたけれど、
今は住んでいない多くの人は、
きっと、私と同じように、胸を締め付けられるのではないでしょうか。
地震を経験したあとにクライストチャーチを離れた人は特に。

絶対に忘れられないし、忘れてはいけないし、
本当に言葉では言い表せない気持ちになります。

この壁は、こんなに美しいエイボン川のほとりに佇んでいます。

今回、大聖堂のカードを2種類購入しました。

「Gone but not forgotten」

まさに、クライストチャーチに少しでも関わったことがある、
すべての人の心を代弁している言葉ですよね。

もう一つのカードは、すごく良く出てきます。

開くと立体になります。
すごい。

クライストチャーチの街を歩くと、
とても複雑な気持ちになります。
10年も暮らした街ですから、私にとっては第二の故郷です。
地震の前と変わらない場所、
地震のあと、そのままになっている場所、
地震のあと、更地になっている場所、
地震のあと、新しいビルがすでに建っている場所。

私の知っているクライストチャーチと、私の知らないクライストチャーチが混在していて、
なんだか異空間にいるような気分になるのです。
でも、確実に前進してる。
びっくりするくらい、大きくてカッコいいビルが建ってたりします。
あと10年もしたら、すごい街に生まれ変わると思います。
それまで、遠くから応援し続けたいです。

つづく

 

yoko:
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