日本人の平常心と強さに驚く

クライストチャーチの地震で、アパートも店も立ち入り禁止となってしまった私たちは、とりあえず、いったん日本に帰るという選択をしました。
そして、私は、日本に帰ってから、早速免許の更新をしに、免許センターへと出かけました。
まずは、都庁の免許センターへ行ったのですが、私の場合、地震で免許を紛失してしまっていたので、都庁では受け付けてもらえませんでした。都庁であれば、自宅からはすぐ近く。ここで被災すれば、家まで歩いて帰ることもなんてことはなかったのですが、私は、自宅から電車で20分ほども離れた、行ったこともない場所で、あの、3月11日の大震災に遭遇してしまったのです。

その時私は、ちょうど一階で更新手続きを終え、免許を受け取るための番号札をもらって、階段で4階へ向かっているところでした。その途中、なんだかめまいがしたような気がして、手すりにつかまりました。早く4階へ行って、椅子に座ろうと思った時、非常階段の扉が大きな音を立てて閉まったのです。その時私は、「これはめまいではなくで地震だ!」ということに気が付きました。

クライストチャーチでの経験から、ビルの外に避難すべきとも思いましたが、とりあえずは、係員の指示に従おうと、4階まで行きました。待合室にいる多くの人は椅子につかまってしゃがんでいましたが、パニックのような状態にはなっていませんでした。そして、地震がある程度おさまったとき、係員の人に「どこに避難したらいいですか?」と聞くと、「免許発行の順番待ちですよね?ここで座ってお待ちください」と言われたのです。本当にびっくりしましたが、これが、地震慣れしている日本人の姿なのですね。

そのあとも、大きな余震が何度も来ましたが、それでも受付の女性は、柱につかまりながら、「24番~30番の人、受付へどうぞ」と、マイクで案内を続けていました。きっとあそこに外国の人がいたら、その光景に本当に驚いたことと思います。
待合室にはテレビがついていましたので、地震の速報が流れ、お台場の映像で、どこかの工場で火事が発生している様子が映し出されていました。おそらく電車も全部止まっていることでしょう。「どうやって家まで帰ろう」とまずはそのことを考えました。
私の免許が発行されるまでの間に、何度も何度も大きい余震が襲いましたが、その途中、講習を終えた人たちがぞろぞろと教室から出てきました。なんとあの大きな地震の最中でも、講習は継続して行われていたのですね!本当に驚きました。

そして私は、無事免許を発行してもらい、外に出ましたが、電車は走っていませんので、とにかく歩いて家の方向へ向かおうと思いましたが、なんせ初めての場所ですので、どちらが自宅方面なのかもよく分かりません。
その時の街の様子はというと、みな、お茶をしたり、牛丼を食べたり、本屋さんもパチンコ屋さんも人がいっぱいで、なんとまあ、いつも通りでした。地震によって、慌てて閉めたりしているお店もまったくありません。
やはり、建物の損傷がないと、人ってあまり焦らないのだと思います。クライストチャーチで地震にあっても慌てずのんびりしていた私たちと同じです。揺れが収まると、すぐに日常に戻ってしまうのです。

私は、家へ帰るためにタクシーをつかまえようと、大通りに出ました。
「こんな大地震のさなか、タクシーなんてつかまえられるだろうか。。。」と不安でいっぱいでした。ところが、多くの会社員の人が、タクシーに乗って会社まで戻り、オフィスビルへと入っていくのです。
そう。地震が起きて、「とりあえず会社へ戻ろう!」というのが日本人だったです。
地震が起きて「まずは家へ帰ろう!」というニュージーランド人とはまったく違う行動パターンでした。

しかしながら、そのおかげで、私はとあるオフィスビルの前で、無事に会社員が降りたタクシーを捕まえることができたのです。それから、家までどれだけかかったでしょうか。途中、17時をまわった頃から、帰宅難民で駅や道路は溢れかえっていました。私は、それよりも前に帰宅を試みたことが幸いだったと思います。空車のタクシーなど一台もなく、ものすごい渋滞に巻き込まれながらも、3時間半かけて、まずは両親の店に辿り着きました。父の無事は確認できましたが、父は、電車が動かなくて家に帰れなくなった常連さんたちのために、今日は夜通し店を開けると言って、通常通り営業していました。古い店ですので、大きい揺れが来たら危険です。もし大きい地震が来たら、すぐに建物の外に逃げるように言い、私はそのままタクシーに戻り、自宅まで戻りました。やっとの思いで家に帰りつき、母と再会したときには、ほっとして涙が溢れました。

それからの日本は大変でした。
福島原発、計画停電、米や水がスーパーから消え、クライストチャーチの地震の時とはまた違った地震の怖さを体験することとなりました。
そして、それから、主人が広島から東京へやってきて、節電でネオンが消えた東京の街をあとに、私たちは、クライストチャーチへと戻ったのです。

第10回 「一歩でも前へ」