被災地からの逃亡


友人のご厚意により、オークランドに移動してきました。
とりあえず、自宅に水と電気が戻るまでは、ここに避難していようと思っています。
自宅で生活できるようにならない限りは、お金を出してどこかへ宿泊するか、
同じく被災者である誰かの家に滞在させてもらわなければ、
このままクライストチャーチに留まることはできません。
だったら、いっそのこと、自宅にいられないのであれば、
「クライストチャーチ以外の場所」に滞在するというのが、私たちの選択肢だったのです。
オークランドであれば、なにかあれば、たったの1時間半でクライストチャーチに戻ることができます。

最初は、「ここクライストチャーチを離れることは、クライストチャーチ市の住民への裏切りではないか」
と感じていました。
クライストチャーチで頑張っている友人、仲間を置いて、オークランドへ移動することに、
ひどく罪悪感を感じたのです。

しかし、いざクライストチャーチを離れてみると、
クライストチャーチにいながら、TVのニュースを見ている毎日とは違う暮らしがここにありました。
まず、トイレが流せる幸せ。シャワーがあびれる幸せ。
余震に驚いて夜中に目を覚ますことがない幸せ。
あんなにひどい地震があったことを、たったの一日で忘れてしまいそうな勢いです。
それがいいことか悪いことかはわかりませんが、ここにいると「現実逃避」ができてしまうのです。

街に出ても、同じことを感じます。
当たり前のことですが、クライストチャーチがどんな大変なことになっていたって、
ここにはここの人の暮らしがあり、そのことばかり考えていることはできません。
悪い言い方をすれば、所詮はひとごとです。そして、それが当たり前なのです。

実際、日本で阪神大震災が起こったとき、
私は東京でニュースをみながら「うわー。神戸、大変なことになってるなぁ」と、
同じ日本国内ながら、知人の無事さえ確認できれば、それ以上の感情はありませんでした。
今回は、たまたま自分が被災者側となっただけのことなのです。

多くの人から、励ましの言葉をいただき、同じクライストチャーチ市民からは「頑張ろうね」と励ましあい、
クライストチャーチでやりなおすことばかり考えていましたが、
ここにきてから「果たしてクライストチャーチでやり直す必要があるのだろうか?」とすら思うようになりました。
被災地から一歩離れれば、被災者本人である私すらそう思ってしまうほど、
ニュースで流れるクライストチャーチの様子はひどい状態で、
ここオークランドには、地震とはまったく関係のない時間が流れていたのです。

一方、同じクライストチャーチ市民であっても、
あの地震を街の中心部で体験していない市民は、あの「恐怖」を体験していません。
電気や水のない生活で不便を感じ、この地震の大きさを感じているとは思いますが、
クライストチャーチの中心から東側のエリアに居た人が体験した、あの「恐怖」は、
同じクライストチャーチ市民ですら分かち合えないのです。
まさに、「命の危険」を感じたあの恐怖です。
そして、「一歩間違えば自分も本気で危なかった」という同じ経験を分かち合えるのは、
やはり、あのとき街中にいた人たちだけなのです。

今日、ニュースをみていたら「街の中心部には数ヶ月立ち入ることはできない」と報道されました。
目安として一ヶ月と思っていましたが「数ヶ月」とは、途方もない期間です。
街中とは、いったいどこからどこまでのエリアのことを言うのでしょうか。
まさか現在通行止めをされているすべてのエリアではないことは言うまでもありません。
そして、街の中心部にある3分の1の建物が取り壊されるであろうとのことでした。
今現在、発表されている数字では、172軒が立ち入り禁止、223軒が取り壊し決定だそうです。
街の中心部の建物が3分の1も取り壊されるとは、どうやってこの事実を受け入れたらいいのでしょうか。
前回巽に戻ったときは、ビル自体は大丈夫そうでした。
でも、自分の店が再生できたとして、街は復興できるのでしょうか?

今日のクライストチャーチは、電気は80%程度復旧し、水は70%程度復旧。
トイレの水も、やっと「流してよい」と許可がでました。
一歩前進ですね。
ちなみに、「電気復旧マップ」をみると、我が家は未だ電気が復旧していないようです。

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